STEPS TO CHRIST

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2.2 ノアの箱舟

http://oriharu.net/jhitugi.htm

 

上記より、抜粋

 

徳間書店の「契約の櫃」(\2,000)の訳者の林陽さんからの情報。

「契約の櫃」は、エルサレムゴルゴタの丘の下から発掘されたそうです。

最初の発掘者は、ロン・ワイアットという探検家であり、この本は、その発掘を疑って、後から検証のために発掘隊を繰り出した、オーストラリアの考古学者がまとめた本の邦訳本です(ジョナサン・グレー著)。

発掘されたのは、1981年1月ですが、イスラエル政府が、その情報を開示した場合に予想される民衆の反応を試験した結果、嘆きの壁での大虐殺事件「テンプルマウント大虐殺」へと事態が発展し、その後、時期が来るまで、この発表を極秘にすることに決定され、今日に至っているとのことです。「ムー」誌1998.12月号にも林陽さんが特集をしています。この発見では、地下12メートルの洞窟に安置されていた契約の箱ばかりか、その真上数メートルの2000年前の地層部分に、イエスの磔刑の跡(十字架穴)も発掘されています。穴の左側に大亀裂が走り、そこから、真下の契約の箱の洞窟まで亀裂が延びて、契約の箱を収容する石棺の蓋が真っ二つに割れ、そこを通して、イエズス様の血が中の箱にまで達していたのだそうです。本には、この十字架穴の写真、契約の箱の写真も含め、沢山の写真資料が載っています。以上が、考古学上の発見です。

 驚いたことに、今、林陽さんが翻訳されている、アンナ・カタリナ・エンメリックというキリスト教の幻視者がいて、絶えず幻視を見せられていた方なのですが、彼女の1000頁を超す「ライフ・オブ・カタリナ・エンメリック」と2000ページを超す「ライフ・オブ・イエズス」の中に、何と、契約の箱が、ゴルゴタ(カルワリオ)の丘の真下に位置していて、そこにイエズス様の血が地震で生じた亀裂の中に流れ込んだという記録が見えるのだそうです。以下に許可を頂いたので、少し抜粋させていただきます。

 

私は、最初に捧げられた犠牲と、ミサが執り行われる祭壇に収められた聖遺骨に込められた、測り知れぬほどの深い意味を見た。私は、カルワリオの丘深く、イエズスが磔にされた地点の真下、水の層にほど近い洞穴に眠る、アダムの骨([ゴルゴタ]=[ドクロの丘]という意味だそうです)を見た。私は、中を覗き、アダムの骨が、右の腕と足、右のあばらの一部以外は、完全に保たれているのを見た。右のあばらから覗いたときに、左のあばら骨がはっきり見えた。右脇には、主が取り出されたときと正確に同じ位置に、イブのどくろが横たわっていた。私は、アダムとイブの眠る場所については色々に議論されているが、二人は私の見たその場所に常にいたことを示された。大洪水以前には、この地点には丘はなかった。その出来事とともに、初めてこの地点に一つの丘が現れた。墓は、水から守られた。
ノアは、箱船の中に彼らの遺骨の一部を持ち込み、最初のミサを行ったときに、祭壇の上に並べたのであった。アブラハムも後の時代に同じことを行った。彼は、アダムの骨をセムから受け継いだ。
アダムの骨の真上、カルワリオの丘で行われたイエズスの血の犠牲は、聖遺骨を下に納めた聖櫃の上で行われるミサ聖祭を予示したものであった。
父祖たちの行った生贄は、そのための準備にすぎない。彼らもまた、聖遺物を所有し、それによって神の約束を思い起こした。箱船にあった五つの孔は、救い主とその教会のひな型であった。

このエンメリックの幻視内容が考古学的に立証された事になりそうですね。さらに、幻視者エンメリックによると、真のゴルゴタの丘の場所は、従来カトリック教会が「カルワリオあるいはゴルゴタ」と宣伝している場所=「城壁の内側にある聖墳墓教会」ではなく、その城壁の外にある丘のことであり、「ベツレヘム門から歩いて7分」で行ける丘だと言うそうです。ベツレヘム門というのは、聖書にも、歴史の本にも出てはいません。ベツレヘム門とはどれでしょうか。
それは、今のゴルゴタ(19世紀末にイギリスのゴードン大佐が初めて発見して名付けた)への門に使われている「ダマスコ門」の横に位置し、今は閉ざされている門だそうです。エンメリックによれば、「真のゴルゴタ(ワイアットの発掘した「城壁の外のゴルゴタ」)」は「ベツレヘム門から歩いて7分」で行ける丘だとの幻視内容でしたが、これについて、林陽氏の友人が、インターネットでイスラエルにつなぎ、調べてもらって、「ベツレヘム門から歩いて7分」というエンメリックの幻視にピタリ一致する門(エンメリックの言う「ベツレヘム門」)と、「真のゴルゴタ(ワイアットの発掘した「城壁の外のゴルゴタ」)」の存在が確認できたのだそうです。 このように、ワイアットの発掘に関して、別の面からも補強されることになったのです。そこで、あのエチオピア・アーク説については、嘘、または、伝説、または、当時いくつも造られていたと想像されるレプリカが運ばれたかのいずれかになりそうです。ジョナサン・グレーの本「契約の櫃」には、神々の指紋の著者さえ、現在は、エチオピア説を撤回していると書かれていましたそうです。

(抜粋 終)

 

現在のノアの箱舟

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・林陽さんに、2冊の本は出版されたのか、聞いてみたい。

 ライフ・オブ・カタリナ・エンメリック

 ライフ・オブ・イエズス

・林陽さんは、アダムの墓のそばに、マリアの墓があることを知っているだろうか?

 

 

ベーメのみた幻

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(THE STORY OF REDEMPTIONより)

神は、ノアに箱舟の寸法を正確に示し、その建造について、細部にいたるまで綿密な指示をお与えになった。

多くの点において、この箱舟は舟のようにではなく、ちょうど水の上に浮かぶボートのような土台を持った家のように作られた。

箱舟の側面には窓がなかった。

箱舟は、三階建てになっていて、光線は頂上の窓から取り入れられた。

扉が一ヶ所側面についていた。

いろいろな動物を収容する各部屋は全部、頂上の窓から光線が入るように作られていた。

箱舟は、何百年たっても朽ちないイヌエンジュという材木で作られた。

それは人間の知恵では考えだすことができないような非常に耐久性のある建物だった。

神が建築者であり、ノアが工事監督だった。

 

ノアがどんなに全力をつくして、工事の細部まで正しく仕上げたとしても、舟そのものだけでは、神が激しい怒りをもって、

地上にくだそうとしておられる嵐の暴力に耐えることは不可能だった。

建造を完成する工事は手間取った。

材木の一本一本は綿密に組み立てられ、継ぎ目にはもれなくチャンが塗られた。

工事を完全なものにするためには、人間のなしうる限りのことがなされた。

しかし結局は、神のみがその奇跡によって、怒りかさかまく波浪から舟を守りたもうことができたのだった。

 

 

 

 

黄色の◯から一本の直線がでているが、直線の上に、契約の箱がある。

このそばにマリアの墓もあるだろう。

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◯で囲われたところが、かつて、命の木と善悪を知る木があったところでは、ないだろうか?(個人的推測)

 

違うかもしれない。

何のために囲われているのだろう?